感覚・感性の違い

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最近、コメントでとても励みになることを送ってくださいました。

このブログが少しでも楽しみにしてくれている人がいると言うことをメッセージで頂き、刺激を受けましたし、引き続き不定期ではありますが共有させていただきたいと思います。

今年、私のチームでは監督が変わり選手はワクワクとドキドキした気持ちで、待っていました。

4月・5月・6月・・・と月日が経ってもフットボールの中身が変化しません。

(これは私だけの感覚なのかもしれません・・・笑)

というのも、試合の中では特殊な用語は増えました。(自チームでなければわからない用語。30用語位。笑)しかし、、、中身は一向に変化しません。

指導者「あるある」なのかもしれませんが、こういう指導者に限って、

「オレが監督としてきてから、サッカーが変わったし、中身も変化した。」

と思いがちだと思います。

やっぱり、立ち止まって考えてほしいのは選手が一番変化しているかしていないかがわかっているということ。

どんな時にも共通して言えるのが、

謙虚に貪欲にできているかどうか?

が重要になってくることだと思います。

うまくいっている時も、選手のおかげ。うまくいかない時は、監督の責任。

この考え方は、自分にプライドやバックボーンがあると見失いがちなのかな・・・と感じています。

現に、今の監督も昔の監督も自分のカテゴリーが終わってしまうとすぐに帰ってしまいます。私が思ってしまうのが、

「こんな監督に、自分が評価されたいか??」

ということです。監督という立場でいるのであったら極端なことを言ったら、自分の子供よりも、選手が一番大事という感覚や価値観でなかったら、選手は変化しないということです。

私たち大人もそうですが、何かと管理職や上の役職の人に文句を言いがちです。これは、私が思うに

「情」

が足りないのだと感じます。

やはり人は「情熱」「情愛」「感情」「激情」など、

「情」がないと人の心が動きません。

この情を動かすもっともわかりやすいのは、その人へ費やす

「時間」

なのだと確信しています。

私たち大人も、自分個人に対して長い時間費やしてくれたら「情」が湧き、何かしてあげたいと感じます。

やはり、人を変化させていくには長い時間が必要となると同時に、自分の確固たる何かが必要になってきます。サッカーのプロ選手や各界の著名人は確実にこの確固たる何かが自分で理解しています。

仕事だから時間を費やすという次元を越して、どうすれば変化してくれるのかを試行錯誤し、長い月日を変けて、選手を変化させるのが私たちサッカー指導者の努めになると感じます。

最後に

いかがだったでしょうか。このフットボールという競技はやっぱり素晴らしい競技だと感じます。ルールが最小、競技人口は世界1、ボールとゴールがあれば成立するスポーツはフットボール以外ありません。だからこそ、人となりが表れますし、日々常々気しなければ、変化しにくいスポーツであると思います。

引き続き、読んでいただけたら幸いです。本日もありがとうございました。

コメント

  1. 一流の二流 より:

    今回も非常に考えさせられるテーマをありがとうございます。

    少しずつ歳を重ねて感じますが、卑屈な意味ではなく、人は自分目線でしか物事を見れませんし、バイアスも必ずかかるものだと考えています。

    その弱さを受け入れた上で、人間という分母からサッカーにアプローチされているのがとても素敵だと思います。

    立場(役割)が上がる程に弱さを見せられなくなりそれがよくない形で発現する場面は社会でも多く見られます。
    拝読して自分自身気をつけなければならない話だと感じました。

    今回もよい刺激をいただき、ありがとうございました。

    以上

    • yawablog より:

      いつもありがとうございます。
      非常に励みになります。
      私ももっといい指導者になれるように頑張ります。

      これからもよろしくお願いします!

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